2022-01-01から1ヶ月間の記事一覧
乙川は嘗て男川とも呼ばれていたらしく、その名称の名残はこの近く の名鉄の「男川駅」でも知ることが出来る。 そんな乙川を越え、旧道に入り込むと大平町だ。 何とはなく意外に思えるが、ここには大岡越前守忠相の邸宅跡が有る。 大岡裁きで知られた忠相は…
藤川宿を出て、国道などを歩くと、旧街道は乙川に突き当る。 大屋川、大平川、或は男川とも言われ、三河の地名由来(諸説有り)と なった三つの川(豊川、矢矧川、男川)の一つである。 嘗てここには、四十弐間の土橋が架けられていたが、今橋はない。 迂回…
再び十王堂のある街道に戻ってきた。 その先で79番目の一里塚跡などを見て更に進むと、境松と言われるとこ ろが二股のY字路になっている。 その奥には旅人を見守っているのか、観音様(妙見堂)が祀られている。 その前の道路脇には、吉良道の道標が立ってい…
「ここも三河 むらさき麦の かきつばた」 宿場外れに、十王堂という小さなお堂がある。 十王とは、死者の魂が集う冥土で亡者の罪を裁く10人の裁判官である仏 の総称だ。その内の一人が良く知られた、あの嘘をついた人間の舌を抜 くという閻魔王である。平安…
この藤川宿に入り込んでからと言うもの、街道筋の彼方此方に紫色の 「むらさき麦」と書かれた幟旗が立てられていたのが気になっていた。 聞けばこの日藤川宿では「むらさき麦まつり」が開催されているという。 消防団により規制された通りは歩行者天国になっ…
家並みの長さが凡1㎞にも及ぶ藤川宿の通りは、国道1号線とは切り 離され、間に割り込むように名鉄の名古屋本線が走っている。 従ってこの広い旧道に入り込む車は少なく、散策にはもってこいである。 通りには、往時を偲ばす連子格子を嵌めた町屋造りの民家…
江戸時代の貨幣価値は時代により変るが、一般的には一両は10万円程 と言われている。 (判断基準が複雑で、20万円等色々な説があり断定は出来ないようだ) 従って銭一文は25円位となり、旅を続ける庶民に取って、藤川宿での飯 盛り女の相場500文は決して安い…
クランク状に曲がる道を「曲尺手」と書いて、「かねんて」と呼ぶ。 どの宿場内にも何カ所か造られていた。 幕府にとっての街道は、軍事的な目的のある道で、外敵が宿場に容易に 侵入しない為、しいては江戸に向けて容易に侵攻させない目的があった。 今なら…
道路脇の緑地帯は、藤川宿の東の入口に当たる棒鼻、見附である。 むかしはこの地を「宇治川の里」と呼んだ時期があったらしい。 この辺りでは周りの藤の花が余りにも見事で綺麗なことから、何時しか 藤川と呼ばれるようになったのだそうだ。 「棒鼻」は「棒…
赤坂宿の陣屋跡を過ぎ西見附を出ると、街道は2里9町(凡そ8.8㎞) 先の藤川宿へと向かう。 ここから先は、旧東海道、国道1号線、名古屋鉄道名古屋本線、東名高 速道路が、付かず離れずの関係で寄り添い、狭い平地を縺れるように西 に向けて進んでいく。 …
子供の頃を過ごした名古屋では、「正月は、年神様をお迎えするから、 門口に目印の松飾りをするのだ」と教えられていた。 当時は、熨斗紙で巻いた小松を玄関など門口に釘で打ち付け、正月の準 備をしたものだが、後年移り住んだ岡山には、そういった「松飾り…
近頃は、お正月だからと言って格段の事をするわけでもなくなった。 それでも、年末の掃除ぐらいは一年の埃を落とそうと、普段よりはやや 丁寧に・・、その程度を目指し何とか頑張って精を出したりはしている。 掃除を終えれば、注連飾りや鏡餅を細やかに飾り…
「めでたさも 中ぐらいなり おらが春」(一茶) お正月を迎えても、一向に嬉しさを感じなくなって、既に久しい。 新年であっても、ごく普通に、何時もと変らぬ朝を迎えている。 とは言え、兎にも角にも、こうして大過なく息災で迎えられて嬉しくな い筈はな…