簾満月の「バスの助手席」

鉄旅、車旅、バス旅、歩き旅、旅なら何でも好きなシューちゃんのブログです。

2023-01-01から1年間の記事一覧

今宿村 いな川の清水(東海道歩き旅・近江の国)

旧道を抜け、大野の交差点で国道1号線を越える。 正面に「若王寺」の寺標が立ち、この奥突当りに浄土宗の『布引山医王 院若王寺』があった。ここからは鐘楼、山門や境内の大杉が見えている。 元々は天台宗の寺院で、御本尊は薬師如来である。 天正年間に兵…

間の宿・大野(東海道歩き旅・近江の国)

宿場と宿場の間にあって、休憩が取れる集落を間の宿と言った。 小規模な茶店だけの場合は立場といったが、ここ大野は可成り大きな間 の宿で、買い物の出来る商店なども存在した。 当時幕府は宿場以外での宿泊を認めてはいなかったが、是は建前で、 実際には…

堀切川の掘り割り(東海道歩き旅・近江の国)

右手の生徳山長泉寺は、門前が児童遊園地に開放されている。 浄土宗の寺で、ご本尊は阿弥陀如来で、境内には子安延命地蔵尊があり、 信仰されている。 市場村の外れ大日川の手前の一里塚跡は、市場の一里塚跡で、江戸日 本橋より数えて百十一里目だが遺構は…

斎王の里 頓宮(東海道歩き旅・近江の国)

松尾川の渡し場跡も、川を挟んで町並や街道が所々に当時の面影を残 している。川を渡ると松尾村で、嘗て立場が有り、僅かな上り坂、灰俵 坂の名残も有るらしい。渡った先には、垂水斎王頓宮跡がある。 頓宮跡に向かうには、旧道を川まで突き当り、その後同じ…

御代参街道道標 (東海道歩き旅・近江の国)

国道の脇、右手の小路口に古い道標が二基建っている。 向って左の道標は、天明8年(1788)の建立で「たかのよつぎかんおん みち」と刻まれ、高野の世継ぎ観音(永源寺)への案内である。 ここから笹尾峠を越え鎌掛、八日市を経て、中山道愛知川宿手前の小 …

大黒屋 控え本陣と大黒橋 (東海道歩き旅・近江の国)

土山公民館から100m程、一の松通りの十字路を越すと大黒屋公園だ。 「大黒屋本陣跡」の石標があり、本陣の跡地が公園に成っている。 土山宿の豪商立岡家が営む「大黒屋」は、「堤家本陣」が衰退すると 控本陣として指定され代替えとして使われていたそうだ…

土山宿の本陣(東海道歩き旅・近江の国)

江戸時代、東海道を旅する大名や幕府公用人、勅使、公家などが泊まっ たとされる本陣は、土地の有力者が務めていた。 ここにも、中町(南土山村)の「堤家」と、吉川町(北土山村)の「土山 家」の二軒の本陣が有った。 「堤家本陣」は家号を「二階屋」と呼…

東海道伝馬館(東海道歩き旅・近江の国)

今日土山宿は北土山と南土山にほぼ町名が統一されているが、当時 の宿の中心は、旧中町から旧吉川町辺りである。 森鴎外が一泊した「旅籠平野屋跡」の辺りが宿場の中心的な場所だ。 平野屋の先の左側に、築200年、江戸中期の両替商の建物を改造した、 民芸茶…

森鴎外ゆかりの地(東海道歩き旅・近江の国)

来見橋を渡ると左手に、南土山の鎮守・白山神社が鎮座している。 速須佐之尊、天照大御神、豊受大御神を祭神とする古社らしい。 本殿は寛文5(1665)年に火災により延焼し、文久3(1863)年に 現在の場所に造営された。毎年七月の第三日曜日に行われる「花…

来見川の来見橋(東海道歩き旅・近江の国)

土山宿の家並みの玄関先には、「旅籠鳥居本屋」「たば古屋」、お六 櫛商「三日月屋」などと書かれた、旧屋号の札が掲げられている。 その先には祠があり、白化粧された二体の地蔵尊が安置されている。 更に右手に旅籠大槌屋跡の石標が続くが、建屋はなく奥行…

お六櫛(東海道歩き旅・近江の国)

「吹け波(ば)ふけ 櫛を買いたり 秋乃風」 伊丹生れの俳人で、東の芭蕉、西の鬼貫(おにつら)と言われた上島 鬼貫の句碑だ。貞享3(1686)年秋、東海道の旅の途中、ここに立ち寄 り「お六櫛」を買い求め、鈴鹿峠に向った時詠んだ句だと言う。 碑の近くに…

右京都へ十五里(東海道歩き旅・近江の国)

土山宿は、東海道49番目の宿場で、東の田村川板橋から西の松尾川 (野洲川)まで、北土山と南土山で構成され、長さは二十二町五十五間 (約2.5km)にも及んだ。 天保14年(1843)の東海道宿村大概帳によると宿内家数は351軒、うち 本陣2軒、脇本陣1軒、…

土山宿(東海道歩き旅・近江の国)

平安時代初期の東海道は土山の南方、杣川(そまがわ)沿いに東進し 柘植を通っていた。その先で加太峠を越える所謂、加太越え道である。 その後の仁和2(886)年に、鈴鹿峠を越えて伊勢に向かう阿須波道 (あすはみち)が開かれた。 これにより土山にも街道…

道の駅・あいの土山 (東海道歩き旅・近江の国)

「道の駅」は、道路管理者や全国の自治体が整備・設置して、国土交 通省に登録されたもので、今日全国には1198カ所あると言う。 その歴史は比較的新しく、実験的な施設として山口や岐阜に設けられ たのは平成3(1991)年の事で、その後全国展開され一気に広…

かにが坂飴 (東海道歩き旅・近江の国)

海道橋を渡り表参道に出て、右に向かえば田村神社の境内で、東海道 は反対に左に取る。そこは表参道で、天を突くように立ち並ぶ杉木立が 林立し、足元には常夜灯が並んでいる。 古社らしく、奉納された常夜灯も古い物が多いようで、中には文政12 (1829)年…

田村神社(東海道歩き旅・近江の国)

かつての東海道は、今日の海道橋の手前で左折し150m程下って右折、 するとそこに渡り場が有り徒渡りすれば真っ直ぐ宿場に入り込んでいた。 その後街道は付け替えられ、田村川に板橋が架かると、田村神社の森 を抜け表参道に出るようになる。 そこを左折し暫…

春の雨(東海道歩き旅・近江の国)

「坂は照るてる 鈴鹿はくもる あいの土山 雨が降る」 歌川広重の画く道中図「東海道五十三次(保永堂版)」では、宿場・ 土山の図「春の雨」として、雨の中、橋を渡る大名行列を画いている。 一行は田村川に架かる田村橋を渡り、正面に田村神社の杜を見て、…

田村川の田村橋(東海道歩き旅・近江の国)

街道の廻りには田園風景が広がり、真っ直ぐに伸びる長閑な畷道の先 に、緑濃い豊かな森が見えてきた。行く手に、自動車通行止めの標識が 現われると、突き当りに真新しい木橋が見える。 森は田村神社で、橋は田村川を渡る海道橋(旧田村橋)、その先が神社 …

猪鼻村と蟹ヶ坂(東海道歩き旅・近江の国)

「猪鼻村 上り下り立場なり。坂有り。花坂は上り成り。 此所よもぎもちをうる。」 本来の旧道は猪鼻交差点を右折し、その先のY字路を右に進み、若宮 神社の社標を見て左折する。 道は直ぐに国道に戻るが、左手に「東海道 猪鼻村」の碑がある。 猪鼻の地名は…

山中一里塚公園(東海道歩き旅・近江の国)

その先には、旧道に延びる集落の上を、新名神高速道の巨大な高架橋 が高く跨いでいる。潜るという感覚も無い程高い高い橋の下を抜けると、 国道1号線に突き当たる。 国道の手前左に広場が有り、「第二名神滋賀県起工の地」碑とモニュ メントが建っている。…

僅かに残る旧道(東海道歩き旅・近江の国)

鈴鹿峠を下る旧東海道は、国道1号線の開通と同時にほぼ消滅した。 山は削り谷は埋められ、均された道路は片側2車線の広々としたものだ。 嘗ての峠道の厳しさは失われ、車は快適になったが、国道歩きには往時 の姿を忍ぶ術もない。 それでも「十楽寺」から5…

国道1号線(東海道歩き旅・近江の国)

国道1号線は旧東海道を前身とする路線で、東京都中央区の日本橋か ら、大阪市北区の梅田新道交差点に到る総延長730㎞に及ぶ道路である。 「一級国道1号線」として制定されたのは、昭和27(1952)年の事で、 昭和40(1965)年に現行法下の「一般国道1号線…

忍びの里 伊賀と甲賀(東海道歩き旅・近江の国)

「甲賀」といえば、忍者の里として知られている。 忍術を駆使して活躍した特殊技能集団で、数々の伝説が今日まで語り継 がれている。乱世の時代、共に競い合ったのが「伊賀」で、両地方は今 では「忍びの里 伊賀・甲賀」として日本遺産に認定されている。 こ…

甲賀市(東海道歩き旅・近江の国)

国道に設けられた、僅かばかりの幅の歩道を歩く東海道は、滋賀県甲 賀市に入って来た。古くから東海道五十三次の49番・土山と、50番・水 口の宿場町として栄えてきた。 現在でも東海道が姿を変えた国道1号、新名神高速道路が町中を貫く 交通の要衝だ。鉄道…

万人講常夜燈(東海道歩き旅・近江の国)

鈴鹿の「峠の茶屋」では、甘酒を啜りながら、東下り旅人は、この先 の厳しい下り坂に思いを馳せ、一方京に上る人々は、早難所を越えた安 堵の心持ちで寛いでいた。 そんな茶店も、今に残る痕跡は何も無く、わずかに石垣の様な遺構を見 るのみである。 杉林を…

峠の立場(東海道歩き旅・近江の国)

旧東海道の関宿から鈴鹿峠までは、平成8(1996)年11月、文化庁の 「歴史の道100選」に選定された。 道や標識が整備され、ハイキングコースとしても知られる様になった。 峠越の「八丁二十七曲り」の厳しい石段と石畳の道を上り詰めると、 街道はやや荒れて…

鈴鹿越え(東海道歩き旅・近江の国)

東海道で峠越え「難所」といえば、真っ先に思い浮かぶのが箱根峠だ。 小田原と三島宿の間にあり、途中に箱根宿や関所を有する、東坂四里・ 西坂四里の峠越は、天下の険と言われる街道最大の「難所」である。 その先も由比と興津宿の間の薩田峠、丸子と岡部宿…

菱川吉衛(三蟠鉄道廃線跡を歩く)

身分は岡山県平民で菱川合名会社代表社員、生まれは弘化元(1844)年 九月十五日の江戸末期、岡山城下磨屋町に生まれ、明治、大正に活躍、 昭和初めに没。この人物、名を「菱川吉衛(きちえ)」と言う。 鉄道敷設に情熱を傾け、大正13(1924)年、岡山臨港鉄道…

三蟠鉄道資料館(三蟠鉄道廃線跡を歩く)

市内中心部に近い國清寺門前から、三蟠軽便鉄道の廃線跡を辿ろうと 歩いて来た。しかし開業から100年を越え、廃線からも90年を過ぎた今、 開発の著しい旭東や岡南地区で、当時の痕跡を見付けるのは最早困難と 思い知らされた。 所々に僅かながら、それらしき…

三蟠駅(三蟠鉄道廃線跡を歩く)

起点の国清寺駅から四哩五分(7.2㎞)、三番工区の干拓地に開かれた 三蟠港に接続する地に鉄道の終着駅・三蟠駅が設けられた。 駅の付近の干潟では潮干狩りが楽しめたという。 対岸の福島等の地区が干拓されるのは昭和に入ってからの事で、当時は まだ遠浅の…