2023-05-01から1ヶ月間の記事一覧
「くたびれた やつが見付ける 一里塚」(江戸川柳) 街道は旧高富村(旧石薬師村)から旧植野村(現上野町)に入ると、 この鈴鹿川の支流・蒲川には、土橋が架けられていた。 当時の道中案内には、この付近では「うなぎ」が捕れ、提供する茶店が 描かれてい…
広重の描く「東海道五十三次石薬師 石薬師寺」には、街道に面して 建つ山門が、今と変わらぬ姿で描かれている。 背後に幾重にも重なる山々は鈴鹿山脈であろうか。 門前には稲刈りの済んだ広大な田圃で作業する農夫の姿もが描かれて いるので、やはりこの宿は…
佐々木信綱記念館から500mほど歩き、国道1号線を跨ぐ瑠璃光橋でこ れを越える。やがて街道は右に曲がる下り坂となり、右手の鬱蒼と茂る 深い森が見えてくる。 地名の謂れとなった「高富山瑠璃光院石薬師寺」の裏門で、ここらが 宿の外れとなるらしい。街道…
国道から離れ旧道に入り込むと、その分岐辺りに「石薬師宿」と刻ま れた石柱が置かれていて、ここが江戸方の入口である。 旅人の安全を願い立てられた延命地蔵堂があり、「これより南 信綱か るた道」と書かれた札が立てられていた。 これは当地で生まれた歌…
東海道44番目の宿場町、石薬師に入ってきた。 宿場内に真言宗の名刹・石薬師寺が有り、古くから門前町として開けた。 それがそのまま地名となった地である。 しかし宿は賑わいに欠け、伝馬制に定める人足や馬の数さえ揃えられず、 幕府は半減を認めていた。 …
石薬師宿に向かう道すがら、鈴鹿山脈を遠望し、微かに見える御在 所ロープウェイの白い鉄塔を眺めながら歩いていると、半世紀も前の ことが頻りに懐かしく思い出されてくる。 その昔行なわれた、「鈴鹿セブンマウンテン」のキャンペーンでは、 休日の度に何…
「湯の山温泉」の歴史は古く、養老2(718)年に浄薫和尚が薬師如 来のお告げにより発見されたと伝えられている。 昔から傷ついた鹿が谷川で傷を癒した伝説が有り、別名を「鹿の湯」と も言う。泉質はアルカリ性ラジウム泉で、神経痛、胃腸病、外傷に効果 が…
真正面に入道ケ岳(905m)、その奥一際高く尖って見える山が鎌ケ 岳(1,161m)で有ろうか? その稜線を下った底が武平峠のようで、今ではここを鈴鹿スカイライン が横切っている。 その右に見える丸みを帯びた山頂が御在所岳(1,212m)のようだ。 北には…
鈴鹿山脈は三重県と滋賀県の県境を構成する山脈で、一般的には北は 関ヶ原から、南は鈴鹿峠辺りまでの範囲と言われている。最高峰は御池 岳の1,247mで、それに続くのが雨乞岳の1,237mで、千メートル級の山 が10座以上連なっている。 昔から伊勢と近江の行…
采女地域に入ると、国道の分岐辺りの標高は13m、金刀比羅宮の辺り で20m程であった。「うつべ町角博物館」前迄に4m程上り、「史跡 杖衝坂」の石柱前では37m余りだ。標高としては大して登っている訳で はない。 その先僅かな距離で坂を上り詰め、サミッ…
「杖突坂 采女村にあり官道に属す、伝へ云ふ倭武尊東征の時、桑名 郡尾津村より能褒野に到るの時、剣を杖つき此坂を踰え玉ふ故に名ずく」 と古誌で紹介されている。 「日本武尊が余りにも急坂で疲れ果て、剣を杖代わりにして登った・」 (古事記)と伝わるの…
明治の中頃、小古曽、北小松、采女、貝塚、並木の五ケ村が合併して 内部(うつべ)村が誕生した。 村名は近くを流れる内部川に因んで名付けられた。 昭和に入ると内部村は四日市市に吸収合併され、昔の村名は地区名とし て残ることになる。 この辺りをその一…
「日永の追分け」で、弥次さんと喜多さんは、左の伊勢参宮道に入り、 お伊勢参りの旅へと進んで行った。 次の宿場神戸(かんべ)迄は一里九丁(およそ4.9㎞)の距離である。 東海道はそれと分かれ、やや西寄りに右の道を旧小古曽村へと向かう。 これまでほぼ…
伊勢国は伊勢湾に沿って南北に細長く、八つの藩から構成されている。 中での最有力大名は、「伊勢は津でもつ 津は伊勢でもつ」と古くから謳 われ、現在の県庁所在地、津市に津城を構えた「津藩」32.3万石である。 藩祖は外様大名、築城の名手と言われた藤堂…