簾満月の「バスの助手席」

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御手洗川と東川 (西国街道歩き旅・摂津国)

 国道に出て右折、御手洗川橋を渡り暫く歩き、カメラのキタムラの角を左折、旧道に戻る。

辺りに「西国街道」を示す案内表示は見当たらないが、旧道はこの道に間違いない事を手元の地図で確認する。

 

 

 南に進路を変えて400m程進んだところで阪急神戸線の高架下を潜ると、青木町から中殿町へと入っていく。

 

 左手に市営や民間の住宅団地の建物が立ち並ぶのを見ながら更に400m程進むと、御手洗川が左から寄り添ってきて、旧道もそれに沿うように右にカーブする。

 

 

 丁度その川と出合った場所に「東川親水南公園」があった。 「アレッ、東川?」、ここまで御手洗川と思っていたが、どうやらこの川は「東川」と言うのが正しいらしい。改めて地図で確認すると「東川」と表記されている。

 

 

 調べてみると、標高309.2mの甲山を水源とする延長凡そ5.3㎞の二級河川とある。旧西宮町の東端を流れていたので、こう呼ぶらしく、これが正式な名前のようだ。

 

 

 江戸時代の絵地図では、「広田川」或いは「御手洗川」と紹介されているらしく廣田神社付近では今でも御手洗川が一般的な呼称らしい。昔から当地に鎮座する廣田神社では、参拝の前この川で手を洗い清めていたので「みたらし川」と呼んでいたという。

 

 

 この社は日本書紀にも記載があり、神功皇后摂政元年(201)、甲山山麓の高隈原に鎮座・創建された。

後にこの御手洗川の東側畔に遷座したが、川は水深も浅く度々水害が発生していた。

 


 そのため享保9(1724)年に、江戸幕府八代将軍の徳川吉宗により廣田山に遷座した。

現在地に移るのは、先の戦災で本殿が全焼し、再建によってであるらしい。(続)

 

 

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