簾満月の「バスの助手席」

鉄旅、車旅、バス旅、歩き旅、旅なら何でも好きなシューちゃんのブログです。

旧横山峠道へ (西国街道歩き旅・山城国)

 

 長岡京駅前から、途中阪急京都線を越え、長岡天満宮に続く広々として明るい府道210号線は、正に市のメインストリートである。通りにはマンションや集合住宅、商店などが建ち並び、行き交う車も多い。

 

 

 それに比べれば神足商店街は、何とはなく旧道らしい懐かしさが感じられる通りであった。

そんな「神足商店街」が終り、JR線に行き当たる少し前で左の線路下は潜らず右折する。

 

 

 勝竜寺城は、この辺りからはほぼ真東のJR線を越えた先、二本の川が合流する三角地に建っているようだ。

 城跡は今公園として整備されているというので、立ち寄りたいところではあるが、ここも割愛し先を急ぐ。

 

 

 旧道を抜け、片泓(かたふけ)の交差点で新西国街道(府道67号西京高槻線)に出る。

暫く府道を歩き、小畑川の支流大川に架かる橋を渡ると清水ケ口で、道は二叉に別れていて、旧道は左の道だ。

ここで緑が丘という住宅街に入ると、この先は天王山に向かう、横山峠道へと続いて行く。

 

 

 清水ケ口の角に、「与市兵衛の墓0.2km 石田家0.2㎞」等と書かれた標識があった。

江戸時代の人形浄瑠璃や歌舞伎芝居の仮名手本忠臣蔵、5段目『山崎街道の場』の所縁の地らしい。

「与市兵衛」は、「仮名手本忠臣蔵」の登場人物で、「萱野三平」の妻「お軽」の父で、この地で斧定九郎という山賊に殺された。

 

 

 墓は街道沿いに有ったらしいが、見落とした。

最もこの代物は、正式には「高野聖寄宿供養名号碑」と呼ばれる碑で、物語の登場人物の墓ではないという。

創作の話が、現実と混同され広まって、供養されるようになったと言うのが通説らしい。 (続)

 

 

風と雲に誘われて こちらも宜しくお願い致します。