簾満月の「バスの助手席」

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山城国と摂津国の国境 (西国街道歩き旅・摂津国)

 山崎宿西端の曲尺手を抜けると、左側の少し高いところに、明治4(1871)年建立の「従是東山城國」の石標が建っている。「これより ひがし やましろのくに」、ここが山城国摂津国の国境だ。

 

 

 すぐ横に玉垣に囲まれ一間社流造の本殿が建つ、関大明神社(山崎の関址)がある。

「当地が古代摂津国と山背国(後の山城国)の関所である山崎の関址と言われ、関を守る関守神あるいは辻神を祀ったのが始めではないかと思われる」と説明にある。

 

 

 平安から鎌倉時代にかけての山崎は、荏胡麻を原料とした油搾りでは、離宮八幡宮の威光を利用して西日本一帯の独占販売権を獲得するなどで大いに栄えていて、西は肥後国、東は美濃国辺りまで商圏が拡がっていたらしい。

 

 

 平安京の外湊である山崎の津(湊)が開かれ、淀川の水運が栄えはじめ、山路には山崎の駅が置かれ、対岸に向けて山崎橋が架けられていた。

水陸交通の要で、非常時には都を守る警護の兵が守りにつく重要な関所らしく、平安時代初期に廃止されたという。

 

 

 関の廃止された跡地には、公営宿泊施設の関戸院が設けられ、貴族や官人の宿泊や休憩として利用されたという。ここは西国へ向かう貴族と見送りの人が別れを惜しんだ地でもあり、古人の和歌が歌集にあるらしい。

 

 

 旭将軍・木曽義仲に追われ、都落ちした平家一門が安徳天皇の輿をおろし、対岸の男山八幡宮を遙拝し、都との別れを惜しんだのもこの地と言われている。

 

 

 

 またこの辺りには、俳諧創始者として知られる「山崎宗鑑」の屋敷があったという説もあるが、詳細は解っていないらしい。(続)

 

 

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