簾満月の「バスの助手席」

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芥川宿(西国街道歩き旅・摂津国)

 

 芥川仇討ちの辻から50mほど行くと、その先に玉垣に囲まれて、 「三宝大荒神社」の祠が有り、傍らに芥川一里塚の石碑と旧芥川宿の案内板が建っていた。

 

 一里塚は榎の茂る一対が残されていたらしいが、昭和40年代に全て失われたという。現在は東側だけが残っていて、大阪府指定史跡に指定されている。

 

 

 荒神社には、奥津比売命・植山比売命・迦具土神 が祀られている。三宝とは仏・法・僧という仏教の三宝を守り、災いや穢れを退ける神仏習合の守護神の事だ。

 

 元々は字観音寺に祀られていたが、地元の崇敬が高く、大正15(1926)3月に、地域住民の人力で、もとの社地近くの一里塚に祠を建てお祀りしたものという。

 

 

 芥川宿は、寛文年間(1661~1673)には町並み東西9町半、本陣3軒、脇本陣1軒、民家800軒、人数4000人余りを数えたというが、天保14(1843)年の記録では、河内屋吉兵衛の本陣1軒、旅籠33軒、家数253軒を数え、人数1150人の記録も残されているらしい。

 

 

 享保19(1734)年に描かれた「芥川宿絵図」(高槻市指定文化財)には、街道沿いには一列に犇めく草葺きの町家や旅籠が描かれている。更にそれらに混じり、瓦葺の本陣や寺、榎木の茂る一対の一里塚等も見られ、往時の姿を良く伝えているという。

 

 

 明治に入り鉄道が開通し、駅がここよりも離れたところに開業すると宿場町は急速に廃れていったという。当時の宿場は鉄道には快からず、従って鉄道は開発のしやすい宿場からは離れた未開の地に設けられることが多かった。多くの宿場が辿った道で、ここも例外ではなかった。(続)

 

 

 

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